LOG 2005年08月
再逮捕 (2005/08/02 15:04:19[tue])
「再逮捕」ってどんなだろう。一度悪いことをして捕まって、それより重い罪などでもう一度捕まることだが、その手順が気になる。
最初の罪で逮捕されてしばらく経ってるから、刑事さんと犯人さんはうちとけているだろう。談笑とかしてるだろう。
---
:
刑「いやー、俺は熊田庸子やなー」
犯「えぇ〜、安田美沙子ですって」
刑「熊田はトークも立つからねー」
犯「んなもんグラビアアイドルはベラベラしゃべらん方がええですって」
刑「まあそれはそうやなあ」
犯「でしょー」
刑「……あそうそう、忘れてたけどお前、あの件な、再逮捕やで」
犯「え、アレ? マジすか」
刑「おう、まあしゃあないな」
犯「しゃあないっすね」
刑「ほなやるか」
犯「やりますか」
刑「…」
犯「…」
刑「…ほら、はよ逃げぇや」
犯「…え?」
刑「はよ逃げんかいや」
犯「逃げていいんすか?」
刑「お前逃げんかったら逮捕でけんやん」
犯「ああ、・・・え?」
刑「せやけどあんまりマジ逃げすんなや、逃げるテイで」
犯「テイで」
刑「おう」
犯「……ほな逃げますけど」
刑「おう、……あっ、コラ、待て、逮捕する!」
犯「待つかボケ!」
刑「おらっ逃げんな、…捕まえたっ! 暴れんな!」
犯「らぁ、離せやぁ!」
刑「午前10時23分、逮捕する! オラ、手錠や!」
犯「チッ、クソッ!」
刑「……はい、再逮捕終了、よかったで」
犯「あ、もうええんです?」
刑「ええよ、手錠外すで」
犯「ああ、すんません」
刑「いやぁ、めんどいよな再逮捕」
犯「これ、いつもこうやってはるんです?」
刑「せやねん、再逮捕多いヤツは大変やで」
犯「もうちょっと簡単にならんのですかねえ」
刑「でもまあこれやらんと逮捕感に欠けるからね」
犯「逮捕感」
刑「逮捕する側される側の醍醐味やろ」
犯「醍醐味」
刑「んなことより、さっきの話やけど、やっぱり熊田やて」
犯「安田ですって」
最初の罪で逮捕されてしばらく経ってるから、刑事さんと犯人さんはうちとけているだろう。談笑とかしてるだろう。
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:
刑「いやー、俺は熊田庸子やなー」
犯「えぇ〜、安田美沙子ですって」
刑「熊田はトークも立つからねー」
犯「んなもんグラビアアイドルはベラベラしゃべらん方がええですって」
刑「まあそれはそうやなあ」
犯「でしょー」
刑「……あそうそう、忘れてたけどお前、あの件な、再逮捕やで」
犯「え、アレ? マジすか」
刑「おう、まあしゃあないな」
犯「しゃあないっすね」
刑「ほなやるか」
犯「やりますか」
刑「…」
犯「…」
刑「…ほら、はよ逃げぇや」
犯「…え?」
刑「はよ逃げんかいや」
犯「逃げていいんすか?」
刑「お前逃げんかったら逮捕でけんやん」
犯「ああ、・・・え?」
刑「せやけどあんまりマジ逃げすんなや、逃げるテイで」
犯「テイで」
刑「おう」
犯「……ほな逃げますけど」
刑「おう、……あっ、コラ、待て、逮捕する!」
犯「待つかボケ!」
刑「おらっ逃げんな、…捕まえたっ! 暴れんな!」
犯「らぁ、離せやぁ!」
刑「午前10時23分、逮捕する! オラ、手錠や!」
犯「チッ、クソッ!」
刑「……はい、再逮捕終了、よかったで」
犯「あ、もうええんです?」
刑「ええよ、手錠外すで」
犯「ああ、すんません」
刑「いやぁ、めんどいよな再逮捕」
犯「これ、いつもこうやってはるんです?」
刑「せやねん、再逮捕多いヤツは大変やで」
犯「もうちょっと簡単にならんのですかねえ」
刑「でもまあこれやらんと逮捕感に欠けるからね」
犯「逮捕感」
刑「逮捕する側される側の醍醐味やろ」
犯「醍醐味」
刑「んなことより、さっきの話やけど、やっぱり熊田やて」
犯「安田ですって」
ナイス畳 (2005/08/03 13:45:23[wed])
先日千葉の寿司屋で見つけたナイスな畳。

海の幸豊富な畳
サザエ、タコ、エビ、タイ、ヒラメ。そんなかわいいマスコットが畳の縁にズラリ。かなりステキだ。これはケーキ屋等も導入してもらいたい。畳の縁に、イチゴショートケーキ、チーズケーキ、シュークリーム、モンブラン。香りつきだったら更にいいな。畳の縁から甘い香り。
問題としては、まずはケーキ屋に畳を導入するところから始めなければならない。あと、香りつきの場合は前述の寿司屋の畳が生臭い。でもどちらも大した問題じゃないよね。

海の幸豊富な畳
サザエ、タコ、エビ、タイ、ヒラメ。そんなかわいいマスコットが畳の縁にズラリ。かなりステキだ。これはケーキ屋等も導入してもらいたい。畳の縁に、イチゴショートケーキ、チーズケーキ、シュークリーム、モンブラン。香りつきだったら更にいいな。畳の縁から甘い香り。
問題としては、まずはケーキ屋に畳を導入するところから始めなければならない。あと、香りつきの場合は前述の寿司屋の畳が生臭い。でもどちらも大した問題じゃないよね。
【長文】【ネタバレ】映画感想「メタリカ:真実の瞬間」 (2005/08/04 18:46:52[thu])
ドキュメンタリー映画「Metallica : Some Kind Of Monster(メタリカ:真実の瞬間)」を観て来た。渋谷パルコ3のシネクイント単館上映。3週間限定。これは行くしかないと今日思い、今日観て来た。腰の重い俺にしては珍しい。
1時間前にチケットを買い求めた時はほとんど人気のなかったフロントだが、30分前に再度行くと既に結構な人数が。そこから行列ができ、しばし待つ。
席に座ると、前に居るのは結構なおばちゃん。というかおばあちゃんに近い。こんな人がメタリカを聴くなんて、と戸惑いつつ、映画開始。
結論というか感想を先に述べておくと、俺はもう映画中鳥肌が立ちっぱなしだった。エピソード3なんかよりよっぽど心に響いた。ちょっとでもメタリカを通ったことがある人はもちろん、バンドや学校や会社で閉鎖された人間関係に疲れた経験のある人は見ても全く損はないと思う。「メタリカの真実」なんてしょぼい邦題つけやがってと思ってたが、まさに「メタリカの真実」以外何物でもなかった。
ここからはバリバリネタばれ。嫌な人は読むな。
ジェイソン・ニューステッドの脱退から絶望的なメンバー間の不和、ジェイムズ・ヘットフィールドの失踪、アル中による入院。そんな危機的状況に陥った世界最高最強のこわもてヘビメタバンドが、しょぼくれた中年セラピストの力を借りつつ、もがきながらも「St.Anger」というニューアルバムを生み出すまでの生々しいとしか言いようがない過程にライブ映像を都度織り込んで、ストーリーは進んでいく。
St.Anger以前のメタリカは、各自が持寄ったリフやメロディや歌詞を、ジェイムズとラーズ・ウルリッヒが緻密に編集し、カーク・ハメットとジェイソンがそれを完璧にトレースしていく、というやり方で曲を作っていた。それが今回は、全くゼロからのスタジオ入り。一番不安だったのはジェイムズとラーズだったろう。映像でも、それぞれが出したアイデアにそれぞれがケチをつけ、そしてバンド内が更にギクシャクするというシーンが繰り返し映し出された。バンドを、自分を、曲を、思い通りにコントロールできない焦りと苛立ち。
この時彼らがひねったりねじったりしていたアイデアのいくつかは、実はちゃんとSt.Angerに収録されている完成曲の土台になっている。なっているのだけれど、やっぱりこの段階ではどこかモッチャリとして歯切れが悪い。そんな未完成の曲が、メンバーの精神改善と同期して次第に磨き上げられ、張り詰めていく。この映画の見所のひとつだと言えよう。
St.Angerがリリースされた時、世界中が驚きと戸惑いの声をあげた。以前にない荒々しさ、そして粗々しさ。音も、曲の構成も、メロディも、リフも、全てが未完成のような荒削りさを持っていた。間延びする曲構成。エンハンスされていない音質、ミュートのないドラム、スナッピーが響くノイズ、「ブラックアルバム」までのメタリカでは考えられない単純なリフ。ファーストアルバム「KILL'EM ALL」に似ているという評もあったが、俺に言わせれば純粋な演奏テクニックの差を差し引けばKILL’EMの方がよっぽどヘビメタとして洗練されていると思う。ジェイムズが歌ってるからギリギリでメタリカだと認識できるというものだ。言い換えれば、聴いててどっと疲れる。
ブラックアルバムの大成功以降、「Load/Reload」で見せた突然の「Rocktallica化」、そして、冴えない楽曲。プロデューサーのボブ・ロックからの悪影響を指摘する声が高まり、俺もそう思っていた。そしてこのSt.Angerで見せた更なる地殻変動。ブラックアルバムを大成功に導いたボブは一体どうしてしまったのか、と思った。
そしてその疑問は、この映画を観てようやく理解できた。なるほど、ボブはもはやメタリカの「第四のメンバー」であったのだ。ジェイソンなき後、自らベースを弾き、バンドメンバーと一緒にセラピーを受け、作品のプロデュースをする。そんな状態で俯瞰的にプロデュースできるはずがない。St.Angerにおけるボブのプロデュースが洗練されていないのは、ボブ自身も同様に葛藤の渦中でもがいていたからに他ならない。
ただ、この映画を観て、St.Angerにおける「反メタリカ的要素」は、全て必要かつ必然であったということも分かった。今まではジェイムズとラーズが持寄った「過去からの、紡ぎ出された怒り」を、計算しつくされたヘビメタ様式美で型抜きしてきた。だが、St.Angerに込められているのは「現在、たった今の、生の怒り」である。敢えて生々しく、荒々しい状態のまま、分かり合えないメンバーへの、分かり合おうとしない自分への、マネージメントへの、そしてメタリカという巨大な虚像への怒りを一気に封入してある。
過去の方法論、それが間違っていようと正しかろうと、それを否定するところから始まったSt.Angerが、世間の言う「メタリカ的」であるはずもない。聴いていてどっと疲れるのは、そこに込められているのが「生の」怒りだからだったのだろう。いや、怒りという単純なものではない、混沌とした生の感情、生の魂、と言った方がしっくりくるかもしれない。そういう意味で生っぽさを一切消さなかったボブの手腕は賞賛に値するものだろう。
ただひとつ、St.Angerでもメタリカがメタリカである所以があるとするならば、映画の中でラーズが何度も口にしていた「今までとは違ったことがやりたい」というところであろう。KILL'EM以降、確かにメタリカは今までとは違ったことをやり続けてきた。NWOBHMを咀嚼し、スラッシュメタルという観念を世界に打ち出したのも、ヘビメタにプログレッシブな要素を取り込んだのも、ギターアンプのハイとローを最大にしミッドをゼロにするという哲学を広めたのもメタリカだ。そういう意味ではLoad/Reloadで見せた「完成し尽くし、行き詰まり感のあるヘビメタからの脱却」も、現在のヘヴィロック隆盛の一要素となったと言える。それが世間に受け入れられるかどうかはともかく、メタリカは変化し続けてきた。
映画の中で見せる、ラーズとジェイムズの激しい衝突。「俺を操ろうとするな」「オマエと話すのは苦痛だ」「オマエにはファックという言葉しか思いつかない」・・・ジェイムズがドアを叩きつけるようにして出て行ったり、ラーズがジェイムズに顔を近づけて「ファーック!」と叫んだり。俺にはそれが、自らで自らを傷つける自傷行為のように見えた。言い換えるならば、ラーズの、ジェイムズに対する「自己嫌悪」、ジェイムズの、ラーズに対する「自己嫌悪」。メタリカをメタリカたらしめようとするためのすさまじいプレッシャー。「アイデアは出ない、でも他の誰かに代案を出されるのは嫌だ」というエゴと自己表現の限界線上での衝突。彼らは、唯一無二の相棒を「自己嫌悪」しつつ、プレッシャーと戦っていた。
そんな中、カークの姿勢は一種独特だった。ラーズとジェイムズを、メタリカを、そして自分自身を客観的に受け止め、今何をすべきかを静かに考えていた。自ら所有する広大な牧場で佇んだり、長年続けていたドラッグをやめサーフィンに打ち込んだりして自分の心と向き合っていた。彼はメタリカの中で最も悟りに近いものを持っていた。リードギタリストでありながら「自らのエゴはもっと捨てていきたい」とセラピー前に言い切ったりしている。
もしや、今までずっと言いなりだったことで卑屈な根性が染み付いているのか。否。
彼は彼をとりまくあらゆる制約条件の中で、自分にできる最高の仕事をしようとしてきただけなのだ。ギターソロを一音一音チェックされ、自らのアイデアは黙殺される。彼はそんな状況で、ジェイソンのような限界破裂ではなく、前向きかつコントローラブルなエネルギーの放出を選んだ。ラーズとジェイムズの支配を敢えて前向きに受け入れつつ、その中で自分ができる最高の仕事をする。この映画で語られるバンド消滅の危機の中にあって、ひとりだけ次元の高い見地から全体を捉えていたのも、カークが今までメタリカや自分自身と戦って勝ち得てきた経験あってこそなのだろう。
とは言え、カークに鬱屈した不満が無かったかと言えばそうではない。映画後半でラーズとジェイムズが「俺をコントロールするな」と互いに言い合っているところに一言「それなら俺はメタリカ加入以来ずっと支配されていた」とつぶやく。激しく言い合っていた二人が一瞬で我に返る。
それもそのはずだ。カークは、ラーズとジェイムズとの間の重要な調停者であり、実はメタリカの陰の精神的支柱であった。ラーズもジェイムズも、お互いに言えないことでもカークには打ち明けられていたようだ。カークの俯瞰的視野はメタリカの中でも一目置かれていたのだろう。そんなカークが、自分の置かれていた立場を歯に衣着せずに言い放ったのだ。ラーズとジェイムズは自らの放つエゴの臭気に気付かされたのである。カークはいつの間にかラーズとジェイムズを「逆支配」するようになっていたのではないか、とまで、俺は考えるようになっていた。
カークの加入と切っても切り離せないのが、メガデスの頭脳、デイヴ・ムスティンの脱退劇だろう。類稀なる才能を持ちながら、その扱いにくい性格とドラッグ・アルコール依存症のせいでメタリカを首になったデイヴ。この映画では、驚くべきことに、ラーズとカークのセラピー中にデイヴが同席し、彼のメタリカに対する痛々しいまでの感情吐露を見ることができる。
「俺はこの日を待っていた」「お前等はどうせやることなすこと全て成功」「俺はしくじった」「カークは世界中から賞賛されている、俺は世界中から嫌われている」「俺はいつも二番手だった」「すれ違ったヤツが、俺に向かって『メタリカ!』と叫びやがるんだ」「ラーズとハシシを吸いながら語り合った頃、あの頃が一番楽しかった」「今あの頃に戻って、アル中を治せと言われたら・・・俺は何としてでも治すだろう」・・・傍若無人のムス様が泣きそうな顔で呪詛とも未練ともつかぬ言葉を溢れさせる。答えに詰まるラーズ。ジェイムズは入院中で居なかったが、もし同席していたら何と言っただろう。
デイヴは、メタリカ以上の商業的成功を得るまでメタリカの呪縛に囚われたままであろう。でも個人的には、デイヴがメタリカを首になったからこそメガデスの素晴らしい曲が生まれたのだし、デイヴとマーティ・フリードマンとのスリリングなケミストリーが生まれたのだから、デイヴには悪いがメタリカを首になってよかったと思っている。大体売れたいクセに「Megadeth(大量虐殺)」なんてバンド名をつけるところがかわいくない。
俺は、ヘビメタは鬱屈した心の闇がキラキラと結晶化した音楽だと思っている。メタリカを首になったという暗い思いがあってこそ、メガデスは輝いた。メタリカも同じだ。心の闇でできた鈍色の結晶を限界まで磨き上げて、珠玉の名曲を作り上げたのだ。デイヴには、「不幸な結末」が生み出す反骨心、反動エネルギー、それをもっともっと見せてほしい。
さて、デイヴと同様メタリカを首になったジェイソンだが、インタビューを見る限りでは彼はメタリカに対する怒りを収めてはいないようだ。「どうせあいつ等はまた崩壊する・・・」と言っていたが、これはあながち単なる負け惜しみではない気がする。さておき、そんな彼の新しいバンドのライブを、ラーズとボブが観に行った。ライブ終了後、ラーズに会おうともせず立ち去っていたジェイソン。ふとライブ会場を見渡すと、そこにはメタリカのスタジオに出入りしていたスタッフが大勢。「ザックもいるぜ、おいザック! ・・・ザックも無視か」「結局みんなジェイソン側で、メタリカ側は俺たちだけだ」・・・たかだかインディーズバンドが小規模のライブハウスでライブをしただけなのに、あの口達者なラーズが頭を抱えて黙り込んだ。全く進展しない状況にそれだけ強い不安を感じていたのだろう。
ラーズは自分の父親に作成中の曲を聴かせている。Road/Reloadの延長線上にあるようなアンビエントのかかった曲だ。ファンタジーの魔法使いのように、白く長い髭を蓄え、杖をつき、それでも目は異様なまでに光を宿しているラーズの父。親父の耳はごまかせない、というラーズに、父親は「この曲を採用すべきではない」と言い放つ。ショックを隠しきれないラーズ。でもやはりその曲は採用されなった。ラーズの父親には、St.Angerを怒りとエネルギーに満ちたものにすべきであるという答えが見えていたのだろうか。だとしたらやはり魔法使いなのかもしれない。
ジェイムズがバンドに戻り、本格的なレコーディングとセラピーが始まった。「粘った時間だけ曲は光る」というボブの持論と反するように、レコーディングは1日4時間と決められた。労働時間について何度も衝突しながらも、セラピーは繰り返され、メタリカから膿が出されていく。ラーズとジェイムズは意見をぶつけながらも、感情を激したりすることが少なくなっていく。そして、最強ヘビメタバンドとしての自覚と自信を次第に取り戻していった。
その自信は、セラピストへの反感というかたちで表れる。理想の父親像とまで思っていたセラピストを、バンドにとってはあくまで異分子であると断言し、必要以上の関与を拒むジェイムズ。アルバム完成後のツアー時もセラピー継続が必要だと主張するセラピストに、ラーズが「客がタイムだっつってんだからタイムだ!」と言い放つ。
俺は正直、このセラピーでメタリカがすっぽり毒を抜かれ、カントリーでも始めるのではないかと思って戦々恐々としていた。その心配を打ち消すかのように、ラーズがあの尊大さを取り戻していた。そう、メタリカはこうでなきゃ。世界最強のヘビメタバンドになろうと、億万長者になろうと、そうやって怒り続け、走り続けてくれなきゃ困る。そう、これはセラピストの否定ではなく、巣立ちだったのだろう。
そして、新ベーシスト、ロバート・トゥルージロの加入。オーディション風景でも、編集マジックがないとすれば、彼の音は他のベーシストの音よりも段違いに迫力があった。「『Battery』のあのスピードを、指で?!」「すげえ音出すな」「3本の指がピックみたいだ」「彼が一番しっくり来た」「オマエが弾くとバンドの音が格段によくなる」・・・メンバーからのコメントは全て賞賛だった。そしてメタリカ加入を子供のように喜ぶロバート。何の気負いも屈託もない笑顔。
マネージメントから、ロバートだけ低い決定権比率が提示された時、既存メンバーは均等比率とするように言った。ギャラ、発言権の差別がバンドの空気を汚すことを、身に染みて感じたからであろう。そうなるとジェイソンはババを引いてかわいそうとしか言えないのだが。。少なくとも「...And Justice For All」のようなベース軽視という悪夢はもう起こらないだろう。
実際に来日公演でこの4人のステージを見たときは、これはまたすげーベーシストを入れたもんだとあっけにとられた。ジェイソンのような歌心はないが、全く引けをとらないド派手なステージアクション。「おいどんはベースでござる」という自負が滲み出ていた。
そしてラストシーン。『The Ecstacy Of Gold』が流れるバックステージで、そのメロディを歌うジェイムズの自信に溢れた表情。4人がステージ上に飛び出し、『St.Anger』の高速リフが始まる。そこには長きに渡って空中分解寸前となり、自信を喪失していた彼らの姿はなく、あくまで威風堂々と演奏する、帝王のままのメタリカがいた。
さて、柄にも無く重めのトーンでダラダラと書き綴ってきたが、メインストーリー以外の見所をいくつか。
映画を観た人がいたら、是非感想をお聞かせください。
1時間前にチケットを買い求めた時はほとんど人気のなかったフロントだが、30分前に再度行くと既に結構な人数が。そこから行列ができ、しばし待つ。
席に座ると、前に居るのは結構なおばちゃん。というかおばあちゃんに近い。こんな人がメタリカを聴くなんて、と戸惑いつつ、映画開始。
結論というか感想を先に述べておくと、俺はもう映画中鳥肌が立ちっぱなしだった。エピソード3なんかよりよっぽど心に響いた。ちょっとでもメタリカを通ったことがある人はもちろん、バンドや学校や会社で閉鎖された人間関係に疲れた経験のある人は見ても全く損はないと思う。「メタリカの真実」なんてしょぼい邦題つけやがってと思ってたが、まさに「メタリカの真実」以外何物でもなかった。
ここからはバリバリネタばれ。嫌な人は読むな。
ジェイソン・ニューステッドの脱退から絶望的なメンバー間の不和、ジェイムズ・ヘットフィールドの失踪、アル中による入院。そんな危機的状況に陥った世界最高最強のこわもてヘビメタバンドが、しょぼくれた中年セラピストの力を借りつつ、もがきながらも「St.Anger」というニューアルバムを生み出すまでの生々しいとしか言いようがない過程にライブ映像を都度織り込んで、ストーリーは進んでいく。
St.Anger以前のメタリカは、各自が持寄ったリフやメロディや歌詞を、ジェイムズとラーズ・ウルリッヒが緻密に編集し、カーク・ハメットとジェイソンがそれを完璧にトレースしていく、というやり方で曲を作っていた。それが今回は、全くゼロからのスタジオ入り。一番不安だったのはジェイムズとラーズだったろう。映像でも、それぞれが出したアイデアにそれぞれがケチをつけ、そしてバンド内が更にギクシャクするというシーンが繰り返し映し出された。バンドを、自分を、曲を、思い通りにコントロールできない焦りと苛立ち。
この時彼らがひねったりねじったりしていたアイデアのいくつかは、実はちゃんとSt.Angerに収録されている完成曲の土台になっている。なっているのだけれど、やっぱりこの段階ではどこかモッチャリとして歯切れが悪い。そんな未完成の曲が、メンバーの精神改善と同期して次第に磨き上げられ、張り詰めていく。この映画の見所のひとつだと言えよう。
St.Angerがリリースされた時、世界中が驚きと戸惑いの声をあげた。以前にない荒々しさ、そして粗々しさ。音も、曲の構成も、メロディも、リフも、全てが未完成のような荒削りさを持っていた。間延びする曲構成。エンハンスされていない音質、ミュートのないドラム、スナッピーが響くノイズ、「ブラックアルバム」までのメタリカでは考えられない単純なリフ。ファーストアルバム「KILL'EM ALL」に似ているという評もあったが、俺に言わせれば純粋な演奏テクニックの差を差し引けばKILL’EMの方がよっぽどヘビメタとして洗練されていると思う。ジェイムズが歌ってるからギリギリでメタリカだと認識できるというものだ。言い換えれば、聴いててどっと疲れる。
ブラックアルバムの大成功以降、「Load/Reload」で見せた突然の「Rocktallica化」、そして、冴えない楽曲。プロデューサーのボブ・ロックからの悪影響を指摘する声が高まり、俺もそう思っていた。そしてこのSt.Angerで見せた更なる地殻変動。ブラックアルバムを大成功に導いたボブは一体どうしてしまったのか、と思った。
そしてその疑問は、この映画を観てようやく理解できた。なるほど、ボブはもはやメタリカの「第四のメンバー」であったのだ。ジェイソンなき後、自らベースを弾き、バンドメンバーと一緒にセラピーを受け、作品のプロデュースをする。そんな状態で俯瞰的にプロデュースできるはずがない。St.Angerにおけるボブのプロデュースが洗練されていないのは、ボブ自身も同様に葛藤の渦中でもがいていたからに他ならない。
ただ、この映画を観て、St.Angerにおける「反メタリカ的要素」は、全て必要かつ必然であったということも分かった。今まではジェイムズとラーズが持寄った「過去からの、紡ぎ出された怒り」を、計算しつくされたヘビメタ様式美で型抜きしてきた。だが、St.Angerに込められているのは「現在、たった今の、生の怒り」である。敢えて生々しく、荒々しい状態のまま、分かり合えないメンバーへの、分かり合おうとしない自分への、マネージメントへの、そしてメタリカという巨大な虚像への怒りを一気に封入してある。
過去の方法論、それが間違っていようと正しかろうと、それを否定するところから始まったSt.Angerが、世間の言う「メタリカ的」であるはずもない。聴いていてどっと疲れるのは、そこに込められているのが「生の」怒りだからだったのだろう。いや、怒りという単純なものではない、混沌とした生の感情、生の魂、と言った方がしっくりくるかもしれない。そういう意味で生っぽさを一切消さなかったボブの手腕は賞賛に値するものだろう。
ただひとつ、St.Angerでもメタリカがメタリカである所以があるとするならば、映画の中でラーズが何度も口にしていた「今までとは違ったことがやりたい」というところであろう。KILL'EM以降、確かにメタリカは今までとは違ったことをやり続けてきた。NWOBHMを咀嚼し、スラッシュメタルという観念を世界に打ち出したのも、ヘビメタにプログレッシブな要素を取り込んだのも、ギターアンプのハイとローを最大にしミッドをゼロにするという哲学を広めたのもメタリカだ。そういう意味ではLoad/Reloadで見せた「完成し尽くし、行き詰まり感のあるヘビメタからの脱却」も、現在のヘヴィロック隆盛の一要素となったと言える。それが世間に受け入れられるかどうかはともかく、メタリカは変化し続けてきた。
映画の中で見せる、ラーズとジェイムズの激しい衝突。「俺を操ろうとするな」「オマエと話すのは苦痛だ」「オマエにはファックという言葉しか思いつかない」・・・ジェイムズがドアを叩きつけるようにして出て行ったり、ラーズがジェイムズに顔を近づけて「ファーック!」と叫んだり。俺にはそれが、自らで自らを傷つける自傷行為のように見えた。言い換えるならば、ラーズの、ジェイムズに対する「自己嫌悪」、ジェイムズの、ラーズに対する「自己嫌悪」。メタリカをメタリカたらしめようとするためのすさまじいプレッシャー。「アイデアは出ない、でも他の誰かに代案を出されるのは嫌だ」というエゴと自己表現の限界線上での衝突。彼らは、唯一無二の相棒を「自己嫌悪」しつつ、プレッシャーと戦っていた。
そんな中、カークの姿勢は一種独特だった。ラーズとジェイムズを、メタリカを、そして自分自身を客観的に受け止め、今何をすべきかを静かに考えていた。自ら所有する広大な牧場で佇んだり、長年続けていたドラッグをやめサーフィンに打ち込んだりして自分の心と向き合っていた。彼はメタリカの中で最も悟りに近いものを持っていた。リードギタリストでありながら「自らのエゴはもっと捨てていきたい」とセラピー前に言い切ったりしている。
もしや、今までずっと言いなりだったことで卑屈な根性が染み付いているのか。否。
彼は彼をとりまくあらゆる制約条件の中で、自分にできる最高の仕事をしようとしてきただけなのだ。ギターソロを一音一音チェックされ、自らのアイデアは黙殺される。彼はそんな状況で、ジェイソンのような限界破裂ではなく、前向きかつコントローラブルなエネルギーの放出を選んだ。ラーズとジェイムズの支配を敢えて前向きに受け入れつつ、その中で自分ができる最高の仕事をする。この映画で語られるバンド消滅の危機の中にあって、ひとりだけ次元の高い見地から全体を捉えていたのも、カークが今までメタリカや自分自身と戦って勝ち得てきた経験あってこそなのだろう。
とは言え、カークに鬱屈した不満が無かったかと言えばそうではない。映画後半でラーズとジェイムズが「俺をコントロールするな」と互いに言い合っているところに一言「それなら俺はメタリカ加入以来ずっと支配されていた」とつぶやく。激しく言い合っていた二人が一瞬で我に返る。
それもそのはずだ。カークは、ラーズとジェイムズとの間の重要な調停者であり、実はメタリカの陰の精神的支柱であった。ラーズもジェイムズも、お互いに言えないことでもカークには打ち明けられていたようだ。カークの俯瞰的視野はメタリカの中でも一目置かれていたのだろう。そんなカークが、自分の置かれていた立場を歯に衣着せずに言い放ったのだ。ラーズとジェイムズは自らの放つエゴの臭気に気付かされたのである。カークはいつの間にかラーズとジェイムズを「逆支配」するようになっていたのではないか、とまで、俺は考えるようになっていた。
カークの加入と切っても切り離せないのが、メガデスの頭脳、デイヴ・ムスティンの脱退劇だろう。類稀なる才能を持ちながら、その扱いにくい性格とドラッグ・アルコール依存症のせいでメタリカを首になったデイヴ。この映画では、驚くべきことに、ラーズとカークのセラピー中にデイヴが同席し、彼のメタリカに対する痛々しいまでの感情吐露を見ることができる。
「俺はこの日を待っていた」「お前等はどうせやることなすこと全て成功」「俺はしくじった」「カークは世界中から賞賛されている、俺は世界中から嫌われている」「俺はいつも二番手だった」「すれ違ったヤツが、俺に向かって『メタリカ!』と叫びやがるんだ」「ラーズとハシシを吸いながら語り合った頃、あの頃が一番楽しかった」「今あの頃に戻って、アル中を治せと言われたら・・・俺は何としてでも治すだろう」・・・傍若無人のムス様が泣きそうな顔で呪詛とも未練ともつかぬ言葉を溢れさせる。答えに詰まるラーズ。ジェイムズは入院中で居なかったが、もし同席していたら何と言っただろう。
デイヴは、メタリカ以上の商業的成功を得るまでメタリカの呪縛に囚われたままであろう。でも個人的には、デイヴがメタリカを首になったからこそメガデスの素晴らしい曲が生まれたのだし、デイヴとマーティ・フリードマンとのスリリングなケミストリーが生まれたのだから、デイヴには悪いがメタリカを首になってよかったと思っている。大体売れたいクセに「Megadeth(大量虐殺)」なんてバンド名をつけるところがかわいくない。
俺は、ヘビメタは鬱屈した心の闇がキラキラと結晶化した音楽だと思っている。メタリカを首になったという暗い思いがあってこそ、メガデスは輝いた。メタリカも同じだ。心の闇でできた鈍色の結晶を限界まで磨き上げて、珠玉の名曲を作り上げたのだ。デイヴには、「不幸な結末」が生み出す反骨心、反動エネルギー、それをもっともっと見せてほしい。
さて、デイヴと同様メタリカを首になったジェイソンだが、インタビューを見る限りでは彼はメタリカに対する怒りを収めてはいないようだ。「どうせあいつ等はまた崩壊する・・・」と言っていたが、これはあながち単なる負け惜しみではない気がする。さておき、そんな彼の新しいバンドのライブを、ラーズとボブが観に行った。ライブ終了後、ラーズに会おうともせず立ち去っていたジェイソン。ふとライブ会場を見渡すと、そこにはメタリカのスタジオに出入りしていたスタッフが大勢。「ザックもいるぜ、おいザック! ・・・ザックも無視か」「結局みんなジェイソン側で、メタリカ側は俺たちだけだ」・・・たかだかインディーズバンドが小規模のライブハウスでライブをしただけなのに、あの口達者なラーズが頭を抱えて黙り込んだ。全く進展しない状況にそれだけ強い不安を感じていたのだろう。
ラーズは自分の父親に作成中の曲を聴かせている。Road/Reloadの延長線上にあるようなアンビエントのかかった曲だ。ファンタジーの魔法使いのように、白く長い髭を蓄え、杖をつき、それでも目は異様なまでに光を宿しているラーズの父。親父の耳はごまかせない、というラーズに、父親は「この曲を採用すべきではない」と言い放つ。ショックを隠しきれないラーズ。でもやはりその曲は採用されなった。ラーズの父親には、St.Angerを怒りとエネルギーに満ちたものにすべきであるという答えが見えていたのだろうか。だとしたらやはり魔法使いなのかもしれない。
ジェイムズがバンドに戻り、本格的なレコーディングとセラピーが始まった。「粘った時間だけ曲は光る」というボブの持論と反するように、レコーディングは1日4時間と決められた。労働時間について何度も衝突しながらも、セラピーは繰り返され、メタリカから膿が出されていく。ラーズとジェイムズは意見をぶつけながらも、感情を激したりすることが少なくなっていく。そして、最強ヘビメタバンドとしての自覚と自信を次第に取り戻していった。
その自信は、セラピストへの反感というかたちで表れる。理想の父親像とまで思っていたセラピストを、バンドにとってはあくまで異分子であると断言し、必要以上の関与を拒むジェイムズ。アルバム完成後のツアー時もセラピー継続が必要だと主張するセラピストに、ラーズが「客がタイムだっつってんだからタイムだ!」と言い放つ。
俺は正直、このセラピーでメタリカがすっぽり毒を抜かれ、カントリーでも始めるのではないかと思って戦々恐々としていた。その心配を打ち消すかのように、ラーズがあの尊大さを取り戻していた。そう、メタリカはこうでなきゃ。世界最強のヘビメタバンドになろうと、億万長者になろうと、そうやって怒り続け、走り続けてくれなきゃ困る。そう、これはセラピストの否定ではなく、巣立ちだったのだろう。
そして、新ベーシスト、ロバート・トゥルージロの加入。オーディション風景でも、編集マジックがないとすれば、彼の音は他のベーシストの音よりも段違いに迫力があった。「『Battery』のあのスピードを、指で?!」「すげえ音出すな」「3本の指がピックみたいだ」「彼が一番しっくり来た」「オマエが弾くとバンドの音が格段によくなる」・・・メンバーからのコメントは全て賞賛だった。そしてメタリカ加入を子供のように喜ぶロバート。何の気負いも屈託もない笑顔。
マネージメントから、ロバートだけ低い決定権比率が提示された時、既存メンバーは均等比率とするように言った。ギャラ、発言権の差別がバンドの空気を汚すことを、身に染みて感じたからであろう。そうなるとジェイソンはババを引いてかわいそうとしか言えないのだが。。少なくとも「...And Justice For All」のようなベース軽視という悪夢はもう起こらないだろう。
実際に来日公演でこの4人のステージを見たときは、これはまたすげーベーシストを入れたもんだとあっけにとられた。ジェイソンのような歌心はないが、全く引けをとらないド派手なステージアクション。「おいどんはベースでござる」という自負が滲み出ていた。
そしてラストシーン。『The Ecstacy Of Gold』が流れるバックステージで、そのメロディを歌うジェイムズの自信に溢れた表情。4人がステージ上に飛び出し、『St.Anger』の高速リフが始まる。そこには長きに渡って空中分解寸前となり、自信を喪失していた彼らの姿はなく、あくまで威風堂々と演奏する、帝王のままのメタリカがいた。
さて、柄にも無く重めのトーンでダラダラと書き綴ってきたが、メインストーリー以外の見所をいくつか。
- ラーズの息子(4歳ぐらい?)がインタビュー中に「パパー、ねえパーパー!」と呼んで、ラーズが「そうその件については、音楽はいつ完成するのか・・・はいはいどうしたんだよ」と苦笑する父親っぽさ
- そのラーズの息子がレコーディング中にドラムに座り、スティックを取り出し、激しくドラミング
- ジェイムズが「車で飛ばしてるとスッキリする」と言って走り去った後に、スピード違反で検挙されているシーン
- ジェイムズがレコーディングに、若い頃初めて買ったおんぼろのアンプを使っているところ
- ボブがカークにネイルマシーン(爪を綺麗にするアレ)を渡してギターでモーター音を拾ったりしてたら、カークがいつの間にかネイルケアにハマって「これいいな」とマジでゆうているシーン
映画を観た人がいたら、是非感想をお聞かせください。
【ネタバレない】映画感想「皇帝ペンギン」 (2005/08/08 02:37:16[mon])
映画「皇帝ペンギン」を観てきた。まあまあであった。
ところで、この映画でペンギンの交尾シーンがあったのだが、そこでナレーションが入った。
「ペンギンたちは一年に一度だけ結婚します」
おいおい、何きれいごと言ってんだ。「交尾」を「結婚」て言い換えるなよナレーション。子供が誤解して覚えるだろ。交尾は交尾ってちゃんと教えなきゃダメだ。じゃあ何か。結婚披露宴は交尾披露宴か。結婚指輪は交尾指輪か。どんなデザインの指輪だ。婚姻届は交尾届か。何を記載するんだ。そんな世界になったらいいな。
まあ最近の結婚式は交尾式みたいなもんだけど。←オカマのからくちコメンテーター的な結び
ところで、この映画でペンギンの交尾シーンがあったのだが、そこでナレーションが入った。
「ペンギンたちは一年に一度だけ結婚します」
おいおい、何きれいごと言ってんだ。「交尾」を「結婚」て言い換えるなよナレーション。子供が誤解して覚えるだろ。交尾は交尾ってちゃんと教えなきゃダメだ。じゃあ何か。結婚披露宴は交尾披露宴か。結婚指輪は交尾指輪か。どんなデザインの指輪だ。婚姻届は交尾届か。何を記載するんだ。そんな世界になったらいいな。
まあ最近の結婚式は交尾式みたいなもんだけど。←オカマのからくちコメンテーター的な結び
くまのプー (2005/08/10 10:18:44[wed])
英語の俗語では、「poo」て「うんこ」のことだよ、とダチに教わった。
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「ほな、『くまのプーさん』て『くまのうんこさん』てことになるな」
「色といいかたちといい」
「下半身丸出しなのも、いつでもひりやすいようにしてるんかな」
「手に持ってる壷の中身も」
「例のランド、プーさんのアトラクションの周りって今は蜂蜜のニオイがするけど」
「ホントのニオイは」
「こえだm」
「やばいやばい」
「消される消される」
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「ほな、『くまのプーさん』て『くまのうんこさん』てことになるな」
「色といいかたちといい」
「下半身丸出しなのも、いつでもひりやすいようにしてるんかな」
「手に持ってる壷の中身も」
「例のランド、プーさんのアトラクションの周りって今は蜂蜜のニオイがするけど」
「ホントのニオイは」
「こえだm」
「やばいやばい」
「消される消される」
アクメが来たりて潮を吹く (2005/08/15 01:28:36[mon])
横浜の港で見つけたビビッドな貿易店。

アクメ貿易
やっぱ、おとなのおもちゃとかシースルーランジェリーとかを輸入する会社だろうか。
/***今日のキーワード***/
アクメ:
フランス語。性交時の快感の絶頂。昭和の官能小説などで多用。
少年チャンピオンに連載されていた「アクメツ」というタイトルの漫画を見て、「アクメッ」かと思って、いったい少年誌でどんなやらしい漫画を載せるんだろうと思ってたら違った。

アクメ貿易
やっぱ、おとなのおもちゃとかシースルーランジェリーとかを輸入する会社だろうか。
/***今日のキーワード***/
アクメ:
フランス語。性交時の快感の絶頂。昭和の官能小説などで多用。
少年チャンピオンに連載されていた「アクメツ」というタイトルの漫画を見て、「アクメッ」かと思って、いったい少年誌でどんなやらしい漫画を載せるんだろうと思ってたら違った。
奥様も魔女? (2005/08/22 16:31:24[mon])
「奥様は魔女」という大昔のコメディドラマが最近また映画化されるらしい。懐かしい。ドラマなのになんでオーディエンスの笑い声が聞こえるんだろうと不思議に思ったものだ。映画でも笑い声は聞こえるのだろうか。聞こえたらいいな。
ところで、「奥様は魔女」ていうのも今さら感がある。ちょっと変えてみないか。こんなのはどうだ。
ところで、「奥様はマゾ」って言い尽くされてる感があるけど、やっぱり味わい深いですよね。
ところで、「奥様は魔女」ていうのも今さら感がある。ちょっと変えてみないか。こんなのはどうだ。
- 祖母はゴスロリ
- 父さんはハードゲイ
- ポチは雑種
- 母方のおじいちゃんの弟さんの内縁の奥さんは万引きの常習犯
- お向かいの小林さんちは今夜たぶんすき焼き
ところで、「奥様はマゾ」って言い尽くされてる感があるけど、やっぱり味わい深いですよね。
ヘソ出し仮面参上 (2005/08/24 16:22:40[wed])
昔にもらった韓国土産が出てきた。チョコだ。何がすごいって包み紙がすごい。

かいけつ・韓国仮面(なぞの覆面)(へそ出し)
誰だこれは。何でヘソ出しなんだ。そもそもこのオレンジ色の覆面は何だ。眉毛もあるし。寄り目だし。結構ふくよかだ。韓国の正義の味方なのだろうか。平和を守るには腹が無防備すぎる。
もらった当時もすごく怖くなって食べずにしまっておいたんだった。出てきた時やっぱりビクッとしてしまった。皆さんとこの嫌な感じを共有したくて載せました。

かいけつ・韓国仮面(なぞの覆面)(へそ出し)
誰だこれは。何でヘソ出しなんだ。そもそもこのオレンジ色の覆面は何だ。眉毛もあるし。寄り目だし。結構ふくよかだ。韓国の正義の味方なのだろうか。平和を守るには腹が無防備すぎる。
もらった当時もすごく怖くなって食べずにしまっておいたんだった。出てきた時やっぱりビクッとしてしまった。皆さんとこの嫌な感じを共有したくて載せました。





